ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

認められること、共感されること

頑張れなんて言われたことない。(幻想の断片/Mariさん)
ちりんのblog 2005-10-17のコメント
を読んで感じたことを、ちょろっと書いてみます。


「頑張れ」は、状況をよく知らない相手に、時には無責任に言い放つことができ、そして凶器にもなり得る言葉だと思う。タイミングによっては、その言葉を言われた側は、逃げ場の無い精神状態にまで追い詰められることさえある。「頑張れ」は、「まあ、やるしかないんじゃない。発言側には関係ないけどね」というような冷たい言葉に、私には感じられるのだ。


一方で「頑張っているね」は、「今のあなたを(私は)認めている」意味合いを持つ(と私は解釈している)から、言われる側のことをよく知っている人でなければ言うことのできない言葉だ。その言葉の中には、発言している人が言われた側のそばにいるという存在があるのだ。


だからこそ、精一杯やっている人が「頑張っているね」と言われることで救われるのだ。孤独だと思った自分が、実は孤独ではなかったのだと知ることもできるのだ。


共感も、発言している人の存在がある。だからこそ、言われた側も素直に受け取ることができるのだ。共感の言葉の陰に「だから、頑張れ」というメッセージがあるとしても、その「頑張れ」は、ただ単発的に言い放たれた「頑張れ」とは異なって、言われた側が受け取ることの出来る「頑張れ」だ。


精一杯やっている人は、孤独に陥っていることも多いように思う。だからこそ周囲にいる人は、その人が一人ではないことを、時々そのような言葉で知らせてあげることが必要なのだと思う。


それにしても、ちりんさんのところの「がんばれ」という言葉に対するshogoshiさんのコメント「電話だと言える「愛してる」に近いカモね。」は、ポイントをついているなあといたく感心しました。面と向かって言われる「愛してる」との差はとてつもなく大きいですよね。