空気嫁に自分語り
予めお断りしておきますが、いくつかのブログ*1を読んで感じたことで、非難しているとかそういうものではありません。また、どこを読んでという個別のTBはしません。書いている今の自分の心持が攻撃的なので後で(悔やんで)削除するかも知れません。
- 空気読むのが苦手な私はコメントを控えるのがよさそうだ。記事を読んで、思ったことやこんなことも!なんて思うとつい書きたくなってしまうし、実際書いていたのだけれど残念だ。
- かといって、メールするほどの内容のコメントはほとんどないのかも。
- ブログのコメント欄と掲示板は本来性質が異なるものではないのだろうか。混ざりつつある今は、文化が入り混じっているのは気にせず、自分の立ち位置の文化で判断すれば良いのではないだろうか。そのうち融合された新しい文化が生まれるかもしれないし。
- スパムは嫌いだし反対。明らかなスパムについては私は速攻で削除するが、幸いほとんど来ないですね。
- 私は意見を言うにしろ何かを感ずるにしろ、まずは自分自身もしくは周囲の経験を土台に考えているように思う。そのため、発想自体が自分語りになっているきらいがある。本来はそこからより一般的に思考を広げて書く(話す・考える)べきなのだろうけれども、その域へはなかなか時間的にも発想的にも到達できないもどかしさを持っている。
- このような思考形態の場合、自分の未経験のことには想像が及ばない。だから、自分にない経験を持つ人の話は聞くし、自分のことは話す。が、空気読めていなくて、表現方法も悪くて、誰かに不快な思いをさせているのかもしれないなあ・・・。
- ま、見下す人は苦手だ。自分はそうならないように気をつけているけれども、気づいていないだけかもしれない。そう考えると恐ろしい。
- こういうことを考えていると、書くのも話すのも怖くなる。こうみえても、私は小心者なのだ。空気を読むのが苦手なのって致命的だな。満身創痍になりながら試行錯誤するしかないのかな*2。