ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

続・車椅子マーク

 2006年3月7日のエントリで引用した記事に対する取材の続きがありました。
車椅子マーク:“悪用”しないで! 切実な声、相次ぐ
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060316ddm013100105000c.html

 悪用はいけない。それとは別に、ちょっと引っかかる記事が。

 「ハート・プラスの会」事務局の村主(むらぬし)正枝さんは膠原(こうげん)病を患っており、「内部障害者は長い距離を歩けない人が多く、入り口に近い障害者用駐車場が必要。誤解されるとつらい」と訴える。

 これは、内部障害についてよく知らない者の素朴な疑問なのですが…。

 イベント会場や敷地面積が関東一!のように宣伝されるショッピングセンターの広大な駐車場ならともかく、通常の店舗の駐車場で、障害者用駐車場とそれ以外の駐車場における店までの距離の差は、果たして「長い」のだろうか。それが辛いのならば、ショッピングなど出来ないのではないだろうか。イベント会場であればなおさらだろう。辛いと感じるような長い距離の自力移動が予想される場合には、車椅子を利用する方が身のためだと思うのだが、内部疾患を抱える方はそのような理由では車椅子を使用されないのだろうか。

 車椅子を使えば、誤解されることもなく障害者用駐車場を使えると思うのだけれども。見た目健常者と区別のつかない様子で外出するのであれば、休憩することを覚悟し、その時間を見込んだ外出計画を立てれば良いのではないかというのはイジワルな考えだろうか。

レス

 コメントを頂きました。コメント欄に書くには長くなってしまったので、頂いたコメントを引用し、以下考えを書きたいと思います。

『もともと譲り合いというか弱者を守るための車椅子マークだと思うのですが、「間違えられないように車椅子使いなさい、目印になるから」というのは、何となくズレてる気がします。
イジワルな考えかどうかはわからないけど、健康な人だからこその考え方だな、とは思います。』

 詩野さんがおっしゃりたいことはよく分かります。こんな無粋なことを言わずに済む社会になって欲しいとも願っています。
 ただ過去のエントリにもあるように、障害者用駐車場を健常者(のみの集団)が使うこと、健常者がマークを悪用することが現在大問題なわけです。機械的にその駐車場から健常者を排除する方法も考えられるでしょうが、今のところ最も効果的なのは、以前のエントリにも書いたように、悪用者に対する「モラルの無いことやって!」という第三者からの冷たい視線ではないかと私は思っています。見た目健常者な方が障害者用駐車場を利用していると、一瞬そんな視線で見てしまいます。ただ直後に「内部障害者かな?」と思い直すわけです。でも瞬間でも冷たい視線を向けているわけで…。この状況では正直、悪用者へはなんら対策を取れないことにもなりますし、その相手が内部障害者であれば明らかに濡れ衣を着せたことになります。
 ただ、「誤解して欲しくない」と願うのならば、「誤解されないようにする努力」も*1必要ではないかと思うのです。車椅子でなくても、杖でも他の道具でも良いのですが、歩くことに支障が出るのならば(訴えている方によれば「長く歩けない」ことが理由とのことですので)、何かしら見た目で分かるものがあると思うのです。ただ足が悪いのであれば杖を使わずとも歩き方がぎこちないとかありますよね。道具が無理ならば障害者マークを身体や荷物に付けますか?(書いていて厭になります…。)なんら対策を取らないのであれば、誤解を受けること、不便さ、身に起きるハプニングを甘受すること等の覚悟は必要ではないかと思うのです。本当ならばこんな余計な考えも覚悟もしなくて良いように健常者が考えるべきことなのですけれど。
 あとは、駐車場の距離できつさに違いが出るのであれば、それ以降の行動は辛いのではないかという現実的な心配です。ですから、車椅子をお使いになればいかがでしょうかと思うわけです。
 私自身は健常者ですが(もっとも足には少々悩みがありますが)私の記憶にある祖母のひとりは車椅子でしたので、ほんのわずかですがそちらの視点を持っているつもりでいます。今回のエントリは、その視点とそこから推測・想像した視点を加味しての感想です。

*1:こんな努力は瞬時で終わって欲しいものですが