ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

自然体

 「責任感 - ねこの日々」を書くまでに考えたり知ったりしたあれこれを、少しずつメモしていきたいと思います。まるきり自分のためのメモですね。

 「自然体」という言葉を頻繁に耳にした時期がありました。なんだか耳触りが良い言葉で、身体の中にスッと入ってくるような言葉でしたが、一方でその意味するところを掴みとれない言葉でもありました。「いつでもボーっとしていればいいの?」と頓珍漢なことを考えたこともありました。もちろん、ボーっとしていてはダメでしょう。エゴイスティックに無神経に振舞うことでもないでしょう。しかし、警戒していたり、気を張り巡らせているのとも違うでしょう。「それでは、自然体って何?」という疑問をずっと持っていました。

 そして最近のこと。とある雑誌に、小堺一機氏へ「出会って7秒で心をつかむ技術」をテーマとしたインタビュー特集がありました。ちょっとインタビューの部分を取り出して書いてみます。

「以前、俳優の寺尾聰さんにお聞きしたんですけど、武士の役で剣を習われたときに、『ぼーっと構えろ』と言われたそうなんです。体の力を抜いて、どこか1ヶ所ではなく相手の全体をぼーっと見る。そして、相手のふところ深く入る。そうすうと、全体が見えているから相手の動きへの反応が速くなるし、斬られることもないんですって。腰が引けて、距離があるほうが相手につけ入る隙を与えてしまうそうなんです。人間関係にもそのまま当てはまるような気がしませんか?僕ははるほどなぁと思いましたね」

 これって人間関係のみならず、あらゆることに当てはまると思うのです。ぼーっとすることは、決して気を抜いているわけではなく、むしろあらゆる方向へ注意を払っている状態なのですね。とはいえ、注意を払うということに、自分自身の感覚のリソース全てをつぎ込んでいるわけでもなくて。ぼーっとすることって、なんて難しいのでしょう。ぼーっとするという表現では今ひとつというのであれば、近い言葉は「虚心坦懐」でしょうか。
 小堺氏は「ありのままの自分を見せよう」と続け、それが自然体だと言っています。また、完璧を目指すのではなく、日常生活であれば60点でも十分なのではないかと言っています。

 何につけ、構えて、できる限り高得点を望むタイプの人間にとっては、この「ありのままに60点で満足する」ことはオソロシイことです。受け入れられなかったらどうしようとか、もっとできるのにと考えたりとか、結果に不満が出てストレスになったりしてしまい兼ねないとかという予感におびえるのです。

 ところが現実では、構えて力をいれまくった挙句に、結果が50点だったりすることもあるのです。そういう時は、精一杯頑張ったというそれだけが自分を慰める唯一の理由なことも多いのです。そして頑張っても50点しかできない自分に自信を失うのです。ならば、力を抜いて60点を得る方が結果としていいのですね。ポテンシャルがあがれば、力を抜いていても65点、70点…とより高い点数を得られるようになるでしょう。

 それでは、その状態を得るために必要なことは何か。それは「60点の結果を出した自分」をそのまま素直に「良かった、よくできた」と認めることだと思うのです。これが出来ないから苦しむことになるのです。「ありのままの自分」を自分が認めることが第一歩なのかと考えます。自分で自分を認められないのに、他人に認めてもらうなんておこがましいことなのかも知れません。

 ここで、小堺氏のインタビュー記事を読み直すと

「まずは自分を好きになりましょうよ。自分のことが嫌いだと、どこか隠そうとしたり、もっとよく見せようとしたくなります。でもそれは、どんなに演技をしてもすぐバレてしまうもの。それで印象が悪くなるケースも結構ありますよね。」

と言っています。推測は外れてはいなさそうです。

  1. 自分で自分を認め
  2. 自分で自分を好きになり
  3. ありのままの自分を出す

というステップを踏むことで、もしかしたら「自然体」を得られるのかも知れません。それぞれの壁は高いです。第1の壁は特に恐怖に勝たねばなりませんから。

ただ今修行中です。