ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

コッペリア

 新国立劇場で、「コッペリア」を初観劇。振り付けはローラン・プティ版。

 プティによる振り付けは、独特で、トラディショナルなバレエの振り付けよりも、かなり現代喜劇的コミカルさがあり、見ていて大変に楽しかった。もし、バレエ観劇に対して敷居の高さを感じている人には、今後プティ版のコッペリアを観るように勧めると思う。逆に、古典的な振り付けだと、このバレエがどのようになるのかも観てみたいと思った。

 さて、今回は4階の第1列目に席を陣取った。前にある手すりが視界を遮り、舞台の手前側はかなり見え辛い。プリマがその辺りで踊っても、腰から上が見える程度だった。新国立劇場の4階や3階のように、かなり急な勾配で席を設けられている所では、身を乗り出しても迷惑を掛けない最後列に席を取る方が、安心してあれこれ気の済むように観られるかも知れないと感じた。もっとも、前の方の人がかがんだりしたら、途端に大半視界を遮られてしまうので賭けともなってしまうが。一方で、楽器に依らず音の響きは良く聞こえてきた。3階は、楽器によるでこぼこがあった記憶があるので、3階よりは4階の方が良いかもしれない。

 この話の原作はE.T.A.ホフマンの「砂男」だそうだ。ちなみに、コッペリアは人形だ。コッペリアを作ったのは、コッペリウスという名の男性。コッペリアの顔は、ヒロインであるスワルニダにそっくり。つまり、スワルニダに片思いしているコッペリウスが、顔をスワルニダに似せて人形コッペリアを作ったのだ。

 そして、コッペリアは昼間、家の二階に座っている。そのコッペリアに思いを寄せるのが、スワルニダが思いを寄せている男性のフランツだ。スワルニダはフランツの気を引こうとするが、フランツにはさっぱりその気がない。つまり、コッペリウス→スワルニダ→フランツ→コッペリアという片思いが繋がっている。コッペリウス宅に別々に忍び込んだスワルニダとフランツがコッペリウスとの間ですったもんだの挙句、人形は壊れ、フランツはスワルニダとコッペリアの顔が似ていることから自分が焦がれていたのがスワルニダであることに気付き、フランツとスワルニダの想いが繋がったところで舞台は幕を閉じる。最後、壊れたコッペリアと共に残されるコッペリウスが、滑稽でもあり気の毒でもあった。なにせ、コッペリウスはコッペリアシャンパンを飲ませ、共にテーブルを囲むほどに、彼女を擬人化し愛していたのだ。

 舞台道具は、これまで観た他のバレエと比べると簡素に見えるものもあった。しかし、建物の外壁の一部分を模したものでは、大きく切り取られた沢山の長方形の窓の中にいる人々が、まるでカードのように見えて印象的だった。人形・コッペリアは手が動く。扇をパタパタと顔の前で扇ぐ。

 いろんな点で、これまでの私のバレエの印象を大きく覆した新鮮な演目だった。

(追記)
 スワルニダを演じたルシア・ラカッラ(ミュンヘン・バレエ)は、スペイン生まれとのこと。黒髪なのだが、4階から見ても顔の雰囲気がエキゾチックなのが良く分かる。脚の形も日本のダンサーとは違って見える。どこがどうと的確には言えないのだけれど、とにかく違うのだ。不思議・・・。
 それはそうと、コッペリアの顔はスワルニダと似ている必要がある。ダンサーは日によって変わるのだが、人形の頭も日々挿げ替えているんだろうか?どことなく全てのダンサーの特徴を入れた頭になっているんだろうか?まあ同じようなメイクをしているだろうし。
 フランツを演じたのはシリル・ピエール(ミュンヘン・バレエ)。ジャンプがふわっとした人だなあと、不思議な感覚にとらわれながら観ていた。勢いをつけているというわけでも、物凄く高くジャンプしているようにも感じられない。しかし、空中ではふわっとしていて、着地では音を全く立てないのだ。背があり、肉体の存在感があるのに重量感のないという、とても不思議な身体の人だった。