ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

高機能化すると忙しくなる

 ソフトとマシンの追いかけっこ - ねこの日々で頂いたコメントを読んだ瞬間に、なぜか思い浮かんだことです。コメントの内容からは、ちょっと話がずれるのですけれども。

 自分が義務教育を受けていた頃、ガリ版刷り他手書きのプリントで溢れていたなあと思い出す。当時、綺麗な紙面を作る場合は、印刷屋にお金を払って頼むものだった。ワープロが普及すると、一般の人が自宅の居間で、綺麗に見えるプリントを作れるようになってきたが、それでも印刷屋の作るものは一線を画した別のものだった。そして、パソコンの普及に伴い、多種の色使いや効果を用いたデザインのプリントを作ることが出来るようになった。素人がパソコンで作ったファイルを印刷原稿としてそのまま使うようにもなった。プリントにおいて印刷屋が関わるのは、印刷だけということも珍しくなくなった。
 パソコンの性能やソフトアプリケーションの機能の向上により、紙面作成において、このようにごく普通の人が出来ることが増え、そのレベルも高いものとなった。高いものとなったのだが、それがいつしか平均的な(誰もが出来ると見做される)技術となり、更にソフトアプリケーションの高機能化によりまたしてもレベルが上がり……と、ごく普通の個人に要求される技術レベルが徐々にアップしてきているように感じられる。同時に、専門家に割り振ることなく、個人がやるべき作業も増えてしまった。
 自分の周辺で言えば、例えばちょっとしたペーパーを書くということは、レイアウトまでを含めた部分までを筆者がやることになる。レイアウトに四苦八苦しつつ結構な時間を費やすこともあって、かつてレイアウトを他の人に任せていた時は、原稿を書いたら次のことに時間を回せたのに今は…という愚痴を聞くこともある。
 個人で出来ることが増えることによりコスト削減に結びつく場合は、組織は個人の負担を増すだろう。すなわち、メインとする仕事以外の作業が増えてしまうとも言えるし、メインの仕事に充てる時間が減るとも言えるかもしれない。いずれにせよ、忙しくなるのだ。
 印刷関係以外においても、例えば計算機を走らせる場合、いくつかの計算ジョブを流している時間を計算済み結果の処理する時間に充てるという流れになり、データ処理と計算実行を並行できたのだけれど、CPUの性能アップにより一瞬で計算が終わってしまい、どんどん処理すべき結果だけがが増えるという光景も見られるようになった。それまで古いマシンで走らせていた計算コードを性能のアップしたマシンで計算させると一瞬で終わってしまい、本当に計算したのか、さぼっていないかと、思わず出力ファイルを確認してしまったけど、ちゃんと計算しているんだよという笑い話も良く聞かれる。この状態で処理するデータがどんどんと作り上げられると、計算機に働かされているような感覚に襲われることもある。
 高機能化は進歩という点で歓迎すべきことであるけれども、個人ユースという点においては、ほどほどの線でもいいかなあと思うようになってきた今日この頃。

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*もちろん、高機能化により、例えばどうしても全て自分で関わらねばならないような口頭発表での資料のようなもの(パワーポイントなど)は、自分の発想をそのまま資料に反映でき、しかも容易に修正できるようになって、効率があがったものもある。しかし、アップした機能をあれこれ取り込んでしまい、発表する会場(主に空間とスクリーン性能)に見合わない資料を見かけることも多くなった。機能に踊らされていると思う瞬間だ。発表で映し出す資料の目的が、話の内容を分かりやすくするためということであれば、映し出している間に資料の内容を読みきれず、説明からも全てを把握できないような、小さな文字を詰め込み過ぎた、あるいは動きのありすぎる資料を作れないと思うのだがと、良く思う。
*公共で使われる大量の処理を要するものはこの話の対象外です。念のため