ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

文系理系

理系白書の第2部は読んでいないのだけれど、http://d.hatena.ne.jp/neko-yashiki/20071218#p1を読んで、ちょっと考えてしまったので書いてみます。

なんにでも文系理系に分ける人はいるようではあるけれど、そして理系は理詰めで文系はそうではないといったニュアンスのことを言う人もあるようだけれども、このことを考える時にいつも思い浮かぶことがある。例えば理系イメージの職種であるコンピュータプログラマー。かつてプログラマーが一大ブームな職種であった頃、大学の文科系学部からプログラマーとして就職した人が大勢いたと聞いている。ある人について文系だから、理系だからで語る人は、これをどうやって説明するのだろうと、いつも思うのだ。少なくとも、文系だから理詰めはね、なんて言う理屈は崩壊すると思うのだけれども。

このように専攻の分類として文理のラベル貼りをするならともかく、人の区分に文理を使うものなのかなあというのは、しばしば考えたことだった。それは自分自身がなんだか曖昧なままコースを決定し、今まで来てしまっているという経緯を持つからかもしれない。以下は自分語りが入るのでたたみます。
私の通った高校は2年生に上がる時に文理のコースに分ける。私は理系コースに属し、そのまま理科系で進学した。しかし、高校でコースを分ける前のテストの結果は、どちらかといえば文科系科目の方が良いイメージが強く、クラスメートもそして母親までもが、そのまま文系コースに進むものと思い込んでいたほどだった。コース分けにはそれまでの各種テストの成績が考慮されるのだけれども、幸か不幸か私の理科系科目の成績はコース分けに影響を与えるほどではなかったので、教師からは好きな方を選べば(希望通りになる*1)、敢えて言うならコース変更したくなったら文転の方がやりやすいかもといった感じのコメントを貰っただけだった。
当時、明確になりたい職業もやりたいことのイメージもなかったのだが、はっきりした解が得られ(高校生の時点ので印象)、こうも読めるか、ああも読めるかと迷うことなく、式で示すことの出来る理系科目の方が好きだなあというそれだけで理系を選択したのだった。その後の先々で、この選択は間違ってはいなかったと感じることは何度もあったのだが、一方で理系的(科目に対応する)センスの無さは2学年以降の高校時代から感じてもいたことであった。ああ、なんか式からイメージする力弱いなとか、数字の扱いが下手だな、とか。
そのため、文系理系の話を聞くたびに、自分がこうもりになったかのような感覚がいつもあったのだった。いや、こうもりと言うよりも、何をやっても今ひとつなダメな人という意識となっていて、今もこの感覚は非常に強い。

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自分の心の中では紆余曲折を経て今に至るのだが、従事している職業を文理分けするならば理系になるだろうけれども、果たして理系コースを進まなければ出来ない仕事かと問うと、恐らく否と答えると思う。文科系に分類される学問を専攻した人でも、数字や数式を見るのがイヤではない人なら出来るようになると思うし、同僚にはそういう人もいる。

と、このように考えているうちに、それでは一体、一般的に想定される文系のイメージに区分される職種はなんだろうかという疑問が湧いてくる。敢えていうならば文学の研究者を除くが、これだって論理的思考は必須であるからして、先の職業プログラマーの件と同じく、文系だから論理は苦手という意見は通用しないのだけれども。もしかして、俗に言われる文系理系のイメージを誤認しているかしら。

なんだかグルグルしてきたので、このへんで。
やっぱり、理系白書の第2部読まないとダメかな。あまり気が進まないのだけれど。

*1:学年で6クラスある中で理系クラスは1クラスしかなかったため希望の叶わない人もいる。