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ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

連鎖・混在

ぼそっ flute

ホッテントリであがっていたので読んでみました。

体力、精神力、技術を兼ね備えたプロの投手に、
70球以上投げてはいけないと言っているんですよ。
それなのに、体もできていない成長期の小学生、中学生、高校生、大学生に、
練習や試合で、100球、200球と投げさせている指導者が、何と多いこと。
この現状は、とても恐ろしいことだよね。


勝利至上主義以外、何物でもないよね。
学生時代は、育成が大切なのに、どんなことをしてでも勝つことしか考えていないん
だよね。
子供の将来なんて、何も考えていないんだよ。

日本中、何百というチームを見てきたけど、
子供達を怒鳴り散らしている指導者ばかり。
怒鳴らないと理解してもらえないほど、私には指導力がないんですと、
周りに言っているようなもんだよね。
そんなことも、わからないのかね?
恥ずかしいというか、あまりにもひどすぎるよね。


そりゃぁ、叱らなければいけない時もあるよ。
でも、試合中、練習中、最初から最後まで、怒鳴ることないよね。
その情熱は、素晴らしいと思うんだけど、方向が間違っているよね。
それだけ情熱があるのなら、もっと勉強して知識を身につけるべきだよね。
もっと怖いのが、知識はあるけど、その知識を間違って使っている指導者だよね。

やっていることが音楽だから文科系・・・と区分されるけど、実質体育会系な吹奏楽でも同じようなことが言えるかもと、読みながら思いました。


ただ、そのような環境からも、将来音楽を職にしようと思い、実際に職にする子供が出てくるのも事実。ただ、吹奏楽の指導は、そのような(自分が子供の頃に受けたような)ものと思って、あるいは気づかぬうちに、自分の受けた指導と同じような指導をする人もいるのではないかという気がしています。故意か無意識かは分かりませんが、人格を否定するような暴言を吐く人もいるそうですし。


大会で良い成績を得られれば励みにはなるので、それを目標にするのは悪くないけれど、良い成績を得るのが目的になったがために、子供達がそのような環境におかれてしまっているんですね。その結果、聴くと厭な記憶がよみがえるから、もう音楽は厭だと、離れてしまう子供も出てきます。学校の部活動って、その子供が将来に亙って続けられる何かや気づく何かを与える場だと思うのですが、それを根こそぎ切り落とすようなことになってしまっているのですね。一所懸命練習したり、時には大変な思いをすることと、厭な思いをするのは、まったく別なもののはず。


最近、身近でちょっと目の当たりにしたりもしたので、これらが混在してしまうのは何故だろうと考えています。