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ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

痴漢に遭った時のこと

ぼそっ

超満員の通勤電車に縁のない私でも、痴漢に遭ったことが2度ある。随分と前の話ではあるが、どちらも店内だった。
不快さと腹立たしさで一杯になるのだけれど、加害者はかなりの確率であの人だろうという推測はできるものの、何せ現場を自分自身で「見ていない」ので客観的な判断ができないということから、「あの人だ!」と指さして断定するのが憚られる。そこで躊躇している間に逃げられてしまうのだ。触っている最中の手を掴めたら、どんなにいいだろうと思った。

状況はどちらも同じだ。私は通路を背に立ち止まって商品を見ており、相手はすれ違いざまに服の上からお尻を触っていったのだ。
1度目の時はコンビニ店内だった。お尻に明らかに手と分かるものが当たったのだけれど、当たったと表現するのも違和感がある当たり方だった。今思い返しても、手が当たったというよりは触ったと言う方がより適切な表現だと思う。そんなに通路を塞いでいるかと思い後方を確認するが、通り抜ける分にはまったく問題のないだけのスペースは、やはり確保していた。そして、私の周りの人たちは、間隔をおいて立ち止まって商品を見ており、歩いている人は一人だけだった。だから、その人だろうとかなりの確信を持てたものの、正直どうしたら良いのか分からなくて動けないまま、目でその人を追いかけた。その人は店の出入り口に向かい、ああ店を出るのだなと思った時に振りかえって、私のことをジッと見たのだ。見た目は気弱そうな男性で、投げてきた視線も気弱そうだった。その視線を受けてぞっとするやら怒りが湧くやら。「アレ」はわざとだったのだなとその時に思ったのだけれど、だからと言って、やはりどうすれば良いのか分からなかった。その人であるという明らかな証拠がないからだし、大声を出しても私とは距離があり、出入り口付近にいる見ず知らずの人が気付いて動いてくれなければ、どうしようもないからだった。

2度目の時は、店内(コンビニではない)は非常に混んでいた。状況からあの人だろうという推測はできるのだけれど、客観的証拠はやはり乏しいし(防犯カメラで確認できるかどうかも怪しい)、ちょっと声をかけにくい「人たち」だった。スウェットの上下を着た中年男性が、子どもと思われる男の子を連れて商品を見るでもなく店内をうろうろと歩きまわっていた。その男の子はなんらかの発達障害があると見て想像できる子だったが、体だけは私と変わらないだけの大きさがあり、小柄な中年男性とも変わらなかった。触ってきたのはおそらく中年男性だろうと思うのだけれど、連れがいると更に断定しづらい。この時は明らかに「触られた」という感覚だったので腹立たしさ全開だったのだけれど、その怒りのやり場がどこにもなくて、それからしばらくはムカムカを引きずっていた。もちろん、さっさと店を出た。

そして不思議なことに、腹立たしさを抱えていながらも、これらのことをしばらくの間は誰にも話せなかった。自分の中でのほとぼりが冷めるまで、ダンナにすら話すことができなかった。話せなかった理由は未だに分からない。ただ話すのが躊躇われたからとしか言いようがない。言い換えると、痴漢に遭ったのがほんの一瞬のこととは言え、口にするのが躊躇われるだけのことだということだ。少なくとも見知らぬ人に不意に全裸にされて見られたくらいのインパクトはある。それ以上に感じる人もいるだろう。さらに、自分が悪いわけではないと思うのだけれど、なぜか罪悪感も抱えてしまうのだ。どうしてなのでしょうね。だから、服の上から触られる以上のことをされてしまった人のことを考えると、怒りで震えてしまう。

こうして文章にし、加害者はあの人だろうなんて書いているけれど、一方で「違っていたらどうしよう」という感情も共存している。触っている最中の手を掴めない限り、この人だと名指しすることは心理的に非常に困難だ。もし手を掴むことができても立証は簡単ではないし、場合によっては濡れ衣を着せてしまうこともあるだろう。直近にいてもこんな状況だから、離れてから「あの人だ」と捕まえることは、少なくとも私にはできないと思う。

命をとられるわけではないとはいえ、精神的な被害は大きい。加害者の特定が困難であることが、被害を増幅すると思う。

こういうことを分かっている、想像できる人ならば、痴漢はしないし、できないだろう。だからこそ濡れ衣を着せられた人の心的被害を考えるとまた気持ちが重くなる。やっていないことの証明もまた非常に難しいからだ。

書いているうちに整理がつかなくなってきたので終わりにしようと思う。ただただ痴漢は許し難いということだけなのだが。