ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

のだめカンタービレ最終楽章後編 感想その2

公開日に観たのだめカンタービレ最終楽章後編(http://d.hatena.ne.jp/kimuchimilk/20100417/p1)ですが、先日、2度目を見てきました。公開されてから時間も経っていますので、感想を書いても差し支えないかな、ということで書いてみます。ハッピーエンド。千秋との恋話のことばかりではなくて。

ただ音楽が好きなだけだったのだめ。自分自身の持つ力、才能について自覚がないままだったけれど、周りがその才能を放っておかなかったからフランスまで来ることになってしまったという状態だったのだめ。千秋と一緒にいたかったからフランスへ来たという面もある。そののだめが、映画の最後では、音楽と生きて行くことがどんなことなのかを掴めたという意味でも、ハッピーエンドだったと思う。最後、楽譜屋さんで購入した譜面はコンクールのための曲なのではないか、それで千秋の手を引いて楽譜屋さんへ駈け込んだのではないか、コンクールへ出ることがどのような意味を持つのかとか、コンクールと真正面から向き合う覚悟も含めて納得したのではないかとか、色々と想像しながら観ていた。偶然うまくいっただけかもしれないけれど、シュトレーゼマンの行動もオクレール先生の行動も上手く噛み合って、のだめの成長に繋がったこともハッピーだ。

苦しい思いも含めて真正面から取り組んで初めて見える、知ることのできる楽しみというものがあると思う。それは体感的な楽しさだけではなくて、知的な楽しさであったりもする。日本で幼稚園の先生を目標にピアノを弾いていたのだめは前者、パリでの経験を経たのだめは後者でしょう。それが、楽譜をきちんと読み取ることであったり、曲の背景を深く知ることであったりという、楽しくない、辛い経験を経て知ることができた新しい世界。でも、それを知ってしまったら、もう後戻りする気にはなれない楽しさ。

ただ、苦しい経験をしない分、体感的な楽しさだけの経験だけの方が、本人にとっては辛くなくて楽しいのだ。その先へは、どうしても楽しくない経験が必要になる。上手くいかなければ、楽しくない経験の途中で、楽しさを失ったまま途絶えてしまうこともあるだけに、果たしてここまでのだめにさせる必要があるかと千秋が悩む気持ちは分からなくはない。でも、千秋は、その先を知ってほしかったのだと思う。自分がその先を知っているからこその願い。その願いが届いたことに、その先に広がる世界に気づいたのだめに、観ていて涙を浮かべてしまった。

自分自身が趣味で楽器をやっているだけに、なんだかヒトゴトに思えない部分もあって、苦しい場面は本当に苦しかった。それでも、私は「趣味でやっている」という逃げ場があるけれど、仕事にするとしたらと考えると躊躇する。もちろん、それを仕事にできるだけの技術も知識もないけれど、それを横においても、やはり必要な覚悟はただならぬものがある。ただ音楽が好きなだけだったのだめが、音楽で生きてくことに中々覚悟を決められなかったのも致し方ないよなと思うし、挫けても致し方のないような状況もあっただけに、あのハッピーエンドは観ていて涙が浮かぶのでした。