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ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

偲2

餌の減りが極端に悪いことに気づいたのは、東北関東大震災後しばらくしてからのことだった。
気のせいかとも思ったけれど、数日続けてほとんど減らない。

その頃、長年悩まされていた脱毛治療のために、状況に応じて毎週あるいは隔週ペースでどうぶつ病院へ通っていたので、診察の際に先生に言ってみた。しかし、治療中のオスの様子を見ていた先生は、元気そうだし、その点については様子見ということになった。

それから随分と経ったある週末の深夜、カリカリを摘む音が聞こえてから私達の居る部屋にもどってきたオスの足取りはよたよたしており、部屋に来てゴロンと横になったが呼吸が尋常ではなく、へばっている様子だった。
日付が回った時間でしばらく悩んだのだが、思い切ってどうぶつ病院へ電話を掛け、診察をお願いした。

血液検査のために血を採る準備をオスにしていた先生が、「これは変だ」と呟いた。健康診断で採血する時は、オスには3,4人がかりの作業だったのだけれど、その時はされるがままで、先生一人で十分事足りてしまったからだった。
電話では私の気にしすぎではと言っていた先生の顔つきが変わった。

肝臓に関する数値が悪いからと、そのまま点滴をするために入院となった。
そうして、そのまま約2週間入院し続け、点滴を刺してケージにいる時間を過ごしていた。

平日は病院の診察終了時間前に飛び込んでお見舞いをしていた。ケージを開けると、もそもそと出てきて私に抱っこされたがったので、時間が許す限り抱っこしていた。入院したての頃は、私が行くと、結構おしゃべりしてきたり話しかければ返事をしてきたりしながら、大人しく抱っこされていたが、そのうちにだんだんと、ケージからなかなか出てこなくなり、抱っこはしんどいのかなと悩んでいたら、フラフラと頑張って出ようとするので抱え上げ、オスは無言でただただ私の顔を見つめ続ける時間が増えるようになった。それでも、その顔つきを見るスタッフが「満足そうだなあ」とオスをからかっていた。

この入院の間に、泊まりがけの旅行を計画していた。それをどうしようかと思っていたけれど、その頃は、どうして入院しなければならないのかと思うような元気さだったので行くことにした。その帰りの列車内で、病院からの電話を受けた。手術の許諾を受けるための電話だった。
内臓の様子は、エコーで診ていたが、エコーからはものすごく悪い状態には見えない。しかし、血液検査結果が示す数値はエコーの感触よりも悪く、それが先生と私の気になっていたことだった。エコーで見えない何かがあるのではないかと思っていた。だから開腹するのが最良策と考えていたのだけれど、見た目とはうらはらに、手術に踏み切れるような体調を示す検査結果が出ていなくて、先生はずっとそのタイミングを計っていたらしい。そして、今なら耐えられると思う、どうする?と尋ねてきたのを、一瞬悩んだけれど、お願いした。

この選択が正しかったのかどうか、今でも思いだしては非常に悩んでしまう。


開腹の結果、見た目にも肝臓はかなり悪くなっていることは分かった。
病名としては「肝リピドーシス」で、いわゆる脂肪肝。餌を食べなかったことで減ってしまった身体の糖分を補おうと身体中の脂肪から糖分を作り出そうとした結果、いっときに集まった大量の脂肪を肝臓がさばききれず、脂肪肝になってしまう、というもの。
とにかく肝臓の機能を正常化するしか手立てはなく、その方法は強制的に口から栄養を取るしかなかった。そして、これは長期戦を覚悟するものだった。

しかし、その頃のオスは、食べることを嫌がった。病院スタッフが忙しい中トライするが、「厭だ」というストレスから吐き気を催し、せっかく食べたものを吐くどころか、食べさせようとするだけで嘔吐動作をするようになってしまったとのことだった。

そこで、手術後の週末のお見舞いで、においに釣られて食べそうな缶詰を持っていって、口の周りに付けてみたらぺろぺろと舐めた。何度かやってみたけれど、どれも舐めた。その様子を見た先生が、これならイケルかもと、それまで病院でやっていた高エネルギー療養食缶詰を渡してくれ、食べさせ方を教えてくれた。一緒に見舞いをしていたダンナと二人がかりであやしながら食べさせた。その様子を見ていた先生が、パパとママがやれば食べるなあと言っていた。
3,4時間置きに食べさせないといけないが、1回当たりにも結構時間がかかる。忙しい病院ではそれは難しいのはないかと思い、週末は自分達でやった方が良いのではないかと考えた。その場でダンナと相談して、週末点滴を外しても大丈夫かと先生に相談した。先生も今は大丈夫そうだし、オスはお家に帰りたがっている所を長らく入院していたから良いだろうということで、餌の缶詰と、手術の大きな傷跡をつけ、傷口を舐めないようにと桜の花びら型のカラーを付けたオスを受け取り、翌月曜日の朝出勤前に病院へ預けることとし、今後の治療方法を打ち合わせて帰宅した。

帰宅後はダンナと二人がかりであやして食べさせた。私が出掛ける時はダンナが一人で頑張ってくれた。それ以外の時間、オスはその時々に自分が気にいった場所で大人しく休んでいた。私がいると私が見える場所に来て、じーっとしていた。
そうして、てんてこ舞いしながらも日曜日の夜を迎えてほっとしていた所で、頑張ってトイレに行ったオスが、上半身をトイレに入れた状態でへたりこんでしまった。それを見てオロオロしてしまったが、診察時間外ではあるものの遅い時間ではなかったので病院へ連絡を入れて連れて行った。

入院前の深夜と同じく、オスはされるがままで色々な検査を受けていた。診察台で横になった状態で、じーっと私を見つめる目が、私に色々なことを伝えているような気がして、私は涙をこらえてその目を見つめ返していた。
そろそろ輸血をした方が良いだろう(点滴で血が薄まってしまったため)ということで、輸血用の血がマッチングする可能性の高そうな兄弟猫であるメスを翌日の朝連れて行くこととし、オスはふたたび点滴を刺したまま入院となった。

起床予定時間の1時間ほど前に電話が鳴った。病院の先生だった。息が止まったこと、一人で対応していたので連絡が遅くなったこと、メスは連れて来なくてよいことを告げられ、今から向かいますと答え、大急ぎで身支度をしてダンナと駆け付けた。

オスは診察台の上でタオルケットにくるまれて横たわっていた。触ると冷たくなっていた。最後は苦しかったのだろうなという顔をしていた。首のあたりに顔をうずめて泣いた。信じられないほどにひんやりしていた。

仕事が終わるまで預かっていようかと先生が申し出てくださったが、連れて帰ることにした。大きな猫だったので、先生が病院内で収まる箱を探したら笑ってしまうほどに大きな箱になってしまった。タオルケットごと箱に入れ、ペット霊園を教えてもらってお礼を言って帰ってきた。

帰宅後しばらく、固まってしまったオスを抱きしめて泣いた。ずっしりと重かった。
具合が明らかに悪くなって2週間のことだった。
保冷剤を入れて涼しい場所に置き、ペット霊園へ連絡を入れて出勤した。ダンナも私も仕事は半休を取得して、午後帰宅し、オスの写真を探し、取り急ぎ余っていた年賀はがきに印刷した。それからペット霊園へ向かった。道中で小さい花束を買った。

ペット霊園では、ダンナが抱えている箱を見たスタッフが「わんちゃんですか?」と尋ねてきた。
焼く前の最後のお別れの時に実際にオスを見たスタッフが、これほど大きい猫は見たことがないと驚いていた。
オスの骨を拾っていた時に付き添ったスタッフさんが、しきりに骨が大きいと感心していた。
それでも何とか、ネコ用サイズの骨壷に収まったオスをそのまま霊園で確保した場所に安置し、印刷した年賀はがきを置いて、今度もうちょっとちゃんと整えるからねと話しかけて帰路に着いた。

帰り道、写真立てとか印刷用紙とかを買った。もう一度写真を探して選んで、プリンターの調子が悪かったこともあり写真屋さんに現像をお願いした。
翌週、今のオスのおうちに、写真立てに入れた写真を置き、造花を置き、非常袋に入れていた、これまで食べていた餌の試供品を置いて、ようやく一息ついた。
オスの周りには数多くの可愛い猫さんがいる。お友達が沢山できるといいね。


後日、開腹時に採った組織の検査結果を受け取った。専門の検査機関によるもので、肝臓は肝リピドーシスの症状だった。それと同時に腸間膜リンパ節の結果もあった。開腹時に、ほんのわずかだけれど大きくなっているのが気になって採取して検査を依頼していたのだそうだ。そこからは、悪性リンパ腫の診断が出ていた。

身体が大きかったので、肝リピドーシスの症状が強く出たのだろうけれど、肝臓の症状よりも悪性リンパ腫の症状が強く出ていたとしても、身体の状態から抗がん剤は使えなかったとのことだった。対症療法になってしまうけれど、そちらも結構長期の治療になる可能性が高く、苦しむ時間が長くなったかもしれないこと。それを考えると、苦しむ時間が短かったし、自宅にも帰れたので、まだオスにとっては良かったかも知れないと言われた。ああ、そうかもなあと思った。

できることなら、どうして餌を食べなくなったのかを知りたいと今でも思う。写真の中のオスは「なんでだろう?わかんない」という顔をしている。


本日でオスが亡くなって半年になる。