ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

見えない恐さ

めいさんが親知らずを抜いたそうです。まだ口の自由が利かなさそう。どうぞお大事にしてください。私は未だに親知らずのトラブルに遭ったことがありません。生えてもいません。ものすごく疲労が溜まったり一気に極度のストレスが掛かった後に、親知らずのありそうな辺りが腫れて痛むことはあるんですけれど、これって診てもらった方が良いのでしょうか。


歯医者が嫌い、苦手という人が挙げる理由に、めいさんのように音とにおいを挙げる方が私の周りにも結構いますが、私が歯医者を苦手とする理由は少し違います。私は歯医者(というか歯科治療)が恐いから苦手です。それは何をされているのかを見ることのできない恐さです。より言うならば、何をされるのかが判らないことに起因する得体の知れない恐さです。


身体の診察なら、医師がどのような器具を持ってどのようなことをするのかを見ていられますよね。見ることができて、大体説明もあるから、なんとなく覚悟が決まることもあるし、感じる恐さにもターゲットがあるわけです。たとえば痛さとか。ああ、痛みがあるのね、痛さに耐えればいいのね、みたいに具体的な恐さがあるので心の準備をしやすいです。


ところが、歯医者さんではそれが叶わない。最近は大体鼻の辺りから目にかけて布等で覆われますから尚更。言われるままに口を開けたら、なにやらガチャガチャと始まる。もうこの時点で恐怖です。一体何をされるのかが分からないところが恐いです。そのうちに何を恐がったらよいのかが分からなくて混乱してきます。何をされているのかが分からないこと?どの歯を触られているのかがよく分からないこと?痛みがくるかも知れないこと?・・・いくつもありすぎて、一体自分はどれに集中して恐がりたいのかも分からなくなって、混乱の中ますます恐怖感だけが募ってきます。そういう意味では、音で連想される不快感はイヤだけれど、まだこちらの方がシンプルで私には耐え易いです。実際に歯を削られている時は、いつ来るかも知れない痛みを恐がるだけで済みますし。


得体の知れない恐さを軽減するために、治療椅子に寝る前に治療台に載っている器具を一生懸命見てしまいます。なのに、椅子に寝そべった後とか治療中に、器具が追加されてしまうんですよね。うわぁ、恐い・・・。