研究者と世界の広さ
広がる(幻想の断片/Mariさん)を読んで。コメント欄にしようかと思いましたが、長くなりましたのでこちらに書きます。これはあくまで、家族に研究者がおり、日々研究の場にいて研究者と接している*1私が思うことでして、大勢の方が肯定されるかどうかは分かりませんけれど。
Mariさんは、
…本来研究者には、広い世界は必要ないのかもしれない。目の前のDNAだけ、そしてそれに連なる患者さんのことだけを考えて、良い結果が出せれば、それが一番いいのかもしれない、とも思う。
と書かれています。そして「バランスを保つために、身のまわり数メートルよりも少しだけ広い世界を見ていたい」(kimuchimilk要約:違っていたら訂正してください)と書かれています。
短期的な研究の成果のみをターゲットとするならば、例えば試験管の中だけを見続けていれば良いのかもしれません。
しかし、「人間であり研究者であり」たいと思うのならば、世界は広いに越したことは無いと思うのです。持っている/知っている世界が広い方が人間の魅力がより増すと思います。「自分の常識があなたの非常識」となることを知っているだけでも違います。また逆に、世界が広いということは、多種多様の視点や発想を持つことが可能になるという点から、より魅力的な研究へと繋がるように思います。
さらに、往々にして一人では研究を遂行できません。誰かの力を何かしらの形で借りることになります。力を貸す方の立場から見れば、相手がより魅力的な人である方が力を貸しやすい(図らずも予定以上の力を貸してしまった!という状況も含めて)と思うのです。それは結果として、研究の成果に現れてくるのではないかと思います。
試験管の中だけを見続けて素晴らしい成果をあげるのは、天才だけではないかとも思ってみたりします。偉人と呼ばれる人々の中にも、私生活では普通なら許されないようなルーズさを持った人もいるようですし(才能と成果があるからこそ許される)。
*1:医学系ではありません