ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

優雅さよりも

usahanaさんの「たかが子どもの書道で」を読んで感じたこと。

ともかく書の世界にこんなにも勝ち負けがあるとは。書道というと優雅な感じで勝負の世界とは1番遠いところにあるように思っていただけに、とまどいが大きかった。


筆の優雅さは、勝負をひたすら経験して勝ってきた人が勝負から離れることで感じるか、始めから勝負を挑むことのない趣味としている人が感じるものではないかと思います。


あるいは、優雅だと思うのは第三者だけかも知れません。筆を動かしている者は、一文字一文字に全力を傾けていて、まさしく勝負です。自分の身体や筆の扱いに失敗したり集中力に揺らぎが出たら負けです。その「負け」は、例えば年賀状の宛名書きをしていて書き間違えた時に感ずる感覚に似ています。


・・・もしかして「優雅」の意味を私は間違えているのでしょうか。


ちなみに私が筆を持っていたのは、子供の頃街の教室で4年強+高校時代の部活3年間で大きな口を叩けるようなキャリアはないのですが、教室に通っていた頃は毎月の段級位検定が「勝負」でしたし、ひたすら臨書をしていた高校時代は心身の修養という感じでした。高校時代にあった検定に似た勝負所は「県展」という展覧会に入選するか否かでした。その時々で、検定であれ自分自身にであれ勝負に勝つことが目標の一つでした。好きでやっていたことですが、今思い返しても優雅だったとは自分でも思えません。どちらかと言えば「髪を振り乱して」の方が合うような状況でしたね。


そして今も、私は筆に優雅さを感じることができません。他の方の書を見てもまず感じるのは、気迫や気力、裏打ちしている努力・・・なのです。


(追記)
上記では、usahanaさんの示された「勝負」とは異なる意味合いも含めてしまっていました。usahanaさんの示された「勝ち負け」について言えば、引用後の最初の文章に私の意見はつきます。
書道展などで賞を取るというのは、書いた字がどれだけ「他人の目に」認められるかという分かりやすい指標ですが、賞を取れるのは限られた人数であることから、結果として競争(勝負)になってしまいますね。
そのような競争とは離れた所で、自分で好きなように書いて楽しむというのもアリですものね。