ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

『厭』の度合いの境界

 三ねんせいさん、コメントをありがとうございます。三ねんせいさんへの直接的な回答とはなり得ないと思いますが、そして乱暴な解釈を含みますが、昨日のを書いたときに念頭にあったことを書いてみたいと思います。


 白から黒へと色が移り変わる間に無限に存在するグレーのどこかに、白黒を分ける境界線を引くような話になると困難ですので、『厭』という感覚を(1)基本的に好きだけれど部分的に不満がある、(2)「坊主憎けりゃ袈裟まで」的に大体において不満がある、にざっくりと二分して考えてみたいと思います。

 (1)の場合を「国」というものに対して考えます。部分的な不満を抱えている方は多くいらっしゃると思うのですが、不満な部分についてあれこれ意見を言うのは、この国が好きだから改善したいという気持ちがあればこそだと思います。不満を口にしても、「国が好き」なのですから、「君が代」を歌うことに異存が出るとは考えにくいのです。

 (2)の場合ですと、乱暴に言ってしまえば「国が嫌い」とも解釈できます。嫌いな国の国歌を歌う気にはなれない、という感覚なら想像ができます。そのため、「君が代」を歌うのが厭だと言う方々は「国が嫌い」と言っている、これまでのあり様も含めて全否定しているように感じられるのです。その「嫌い」「厭」の感覚を想像することが私には困難なのですが、どうして厭な国に住むのだろうという疑問は生じました。


 三ねんせいさんのコメントの状況は、上記の(1)に該当するのではないかと解釈しております。