ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

演奏会でした

なんとか無事に演奏会を終えました。今日は仕事にならないだろうと休暇を取得していました。
今年の日程は偶然例年よりも遅くなったのですが、それが幸いしました。

このグループの活動は、4月下旬あるいは5月上旬に1時間程度の小さい演奏会を一つ、秋に開催する大きな演奏会が一つです。皆で集まっての練習会は月に1度。ただし、朝9時頃集まり、終えるのは遅い場合は午後6時と、丸1日です。
1月に運営委員で集まって活動の方針を検討確認してから、1月か遅くとも2月には練習会を開始します。この頃は春の演奏会が最大の目標となります。

そのように、例年通りに練習を開始したのですが、3月の練習会の前に震災に見舞われてしまいました。なんとかメンバーの無事を確認できたものの、家屋の被害を受けたメンバーもいましたし、家屋被害はあちらこちらにあり、また交通事情、ガソリン事情から、集まることすら困難な状況となったため、3月の練習会は中止。結局、春の演奏会は会場が使えないことから中止。その、春の演奏会開催を予定した日に集まって、秋の演奏会が出来るといいねと思いながら、とりあえず練習してみたり。その頃は、こうやってフルートを吹いていて良いのだろうかという気持ちがまだあって、気後れしながらでした。また家庭の事情により、今年は参加できないというメンバーも増えて、正直なところ、演奏会を開催するには危機的な状況にもなっていました。

それでも、習慣になったことというか、惰性かもしれませんが、一度集まって練習をすると、自然に「それでは次の練習日はどうする?」という相談になり、練習を続けることができました。最大の懸案が、演奏会会場を使えるのか、でした。なかなか修復工事に取り掛かれず、会場のスタッフもやきもきしているようでした。会場が使えることが確定したのがひと月前で、例年であれば考えないような代替会場や代替公演についても考えてみたりなど、実行委員長をしていた私には直前まで落ち着きませんでした。会場が本番当日に使えることが分かった時、どれほど安堵したことか。
会場のある市は地震津波の被害を受けていることもあり、文化施設の修復が後回しになるかとも思ったのですが、会場のある施設の被害は幸いにも甚大ではなかったというか、むしろ軽微だったためか、予算が付いたようです。ありがたいことです。

当日午前中にリハーサルをしている間に、空調の故障が発覚し、寒いホール内となってしまったことは残念でしたし、ご来場くださったお客様には大変申し訳なかったのです。
それでも、この先どうなるのか、練習をしていて良いのだろうかという不安に駆られた時を思い返すと、こうして演奏会を開催して終えることが出来たのは夢の様です。あっというまに過ぎ去った本番でした。

お越し下さったみなさま、本当にありがとうございました。

発表会の準備4

ウォーミングアップ兼調子見でタファネル・ゴーベールの2番を。ちなみに、どれをやるかはその場で自分で決めます。

タファネルゴーベールはピアノのハノン教本のようなものだと思っていただければ良いです。1番と2番は同じ音列を使ったもので、「ドレミファソファミレ」の繰り返し4回と、半音上がった調の「シドレミファミレド」の4回繰り返しがセットになったものを下から上まで移動しながら全ての調についてやります。で、1番が長調、2番が短長となっています。アーティキュレーションの練習にも使われますが、私はもっぱら音符8つをスラーにしたパタンで奏法の確認や練習を兼ねてやっています。最近2番を選択するのは発表会の曲が短調だからというだけです。

2番を終えて本調子ではないかなあという気もして、もうひとつどれかやろうかなとも考えたけれど、まあ何とかなりそうかなあとも思って、そのまま曲へ。先週の練習後の予告通り、今日は1楽章を。四分音符で66から76まで。76では3楽章が危ないかなということで、試しに3楽章を76で通す。これは先週最後にやったテンポよりも若干速いテンポです。で、音の具合があやしくなるねというのが師匠の感想。このテンポでやるなら、もう少し頑張らないととのこと。ついでに2楽章もテンポを決めるために、この辺かなというところで師匠が決めてくださったのが付点四分音符で50。曲は八分の九拍の曲です。ゆっくりの曲なので、もう少しゆっくりでもいいかなあとも思ったけれど、本番を考えると無難なテンポかもしれないとも思ったり。

「2楽章はとてもきれいに吹けてるよ、返すと、1,3楽章の十六分音符がシャカシャカしているから、それをきれいに吹けるようにしないとということなんだけど。それ以外は問題ないよ」とコメントを頂戴する。息が多いんだなあ。
この分かっているけれど、(簡単には)できないという状態が、一時期ものすごくストレスになってしまって、それで返って音を出せなくなってしまったので、最近は考え込まないようにはしているけれど、分かっていて出来ないというのは、これ以上ないストレスなのよね。


来週は別の本番があって、私は乗るだけではなくて準備を取り仕切る役目もしているので、今はそちらにかなり気を取られている。無事に終わって欲しい。
この演奏会が今年最後の演奏会。あとは練習のみの日々。しかし、1月に発表会、2月に本番2回、もしかしたら3月に本番1回、4月か5月上旬にも1回という状況で、もちろんその間の休日は基本的には練習で埋まってしまう訳で、体調とスケジュール管理が最大の課題になりそうです。

発表会の準備3

先週末のレッスンのメモ。
タファネル・ゴーベールの2番でウォーミングアップ兼調子の確認後、バッハのg-mollの3楽章を。
前回と同様にメトロノームを1目盛ずつ上げながら。前回の続きから、八分音符108から144まで。八分音符で138まではそうでもなかったのに、144になった途端、急に速くなったような気がした。感覚になれないと。
師匠からは、八分音符で138の辺りで、四分音符がディタッシェで聞こえなくなってきたから気を付けるようにと注意が入る。あとは、ピアノの動きを意識することも指摘された。ピアノとフルートで掛けあいしている曲だものね。

ひとまず3楽章はここまでにして、次回は1楽章ということに。1,2楽章との兼ね合いでは、3楽章はもう少し速いテンポでやりましょうとのこと。

テンポを上げたらボロボロになるかと思ったけれど、そんなにひどいことにはならなかったので、「思ったよりは大丈夫だったなー」と呟いたら、師匠が「ああ、大丈夫よー」と。去年の発表会の反省と指摘から、この1年間は音を安定して確実に当てることを最優先にしてきた。これからの本番、その成果が出るように集中したい。

偲2

餌の減りが極端に悪いことに気づいたのは、東北関東大震災後しばらくしてからのことだった。
気のせいかとも思ったけれど、数日続けてほとんど減らない。

その頃、長年悩まされていた脱毛治療のために、状況に応じて毎週あるいは隔週ペースでどうぶつ病院へ通っていたので、診察の際に先生に言ってみた。しかし、治療中のオスの様子を見ていた先生は、元気そうだし、その点については様子見ということになった。

それから随分と経ったある週末の深夜、カリカリを摘む音が聞こえてから私達の居る部屋にもどってきたオスの足取りはよたよたしており、部屋に来てゴロンと横になったが呼吸が尋常ではなく、へばっている様子だった。
日付が回った時間でしばらく悩んだのだが、思い切ってどうぶつ病院へ電話を掛け、診察をお願いした。

血液検査のために血を採る準備をオスにしていた先生が、「これは変だ」と呟いた。健康診断で採血する時は、オスには3,4人がかりの作業だったのだけれど、その時はされるがままで、先生一人で十分事足りてしまったからだった。
電話では私の気にしすぎではと言っていた先生の顔つきが変わった。

肝臓に関する数値が悪いからと、そのまま点滴をするために入院となった。
そうして、そのまま約2週間入院し続け、点滴を刺してケージにいる時間を過ごしていた。

平日は病院の診察終了時間前に飛び込んでお見舞いをしていた。ケージを開けると、もそもそと出てきて私に抱っこされたがったので、時間が許す限り抱っこしていた。入院したての頃は、私が行くと、結構おしゃべりしてきたり話しかければ返事をしてきたりしながら、大人しく抱っこされていたが、そのうちにだんだんと、ケージからなかなか出てこなくなり、抱っこはしんどいのかなと悩んでいたら、フラフラと頑張って出ようとするので抱え上げ、オスは無言でただただ私の顔を見つめ続ける時間が増えるようになった。それでも、その顔つきを見るスタッフが「満足そうだなあ」とオスをからかっていた。

この入院の間に、泊まりがけの旅行を計画していた。それをどうしようかと思っていたけれど、その頃は、どうして入院しなければならないのかと思うような元気さだったので行くことにした。その帰りの列車内で、病院からの電話を受けた。手術の許諾を受けるための電話だった。
内臓の様子は、エコーで診ていたが、エコーからはものすごく悪い状態には見えない。しかし、血液検査結果が示す数値はエコーの感触よりも悪く、それが先生と私の気になっていたことだった。エコーで見えない何かがあるのではないかと思っていた。だから開腹するのが最良策と考えていたのだけれど、見た目とはうらはらに、手術に踏み切れるような体調を示す検査結果が出ていなくて、先生はずっとそのタイミングを計っていたらしい。そして、今なら耐えられると思う、どうする?と尋ねてきたのを、一瞬悩んだけれど、お願いした。

この選択が正しかったのかどうか、今でも思いだしては非常に悩んでしまう。


開腹の結果、見た目にも肝臓はかなり悪くなっていることは分かった。
病名としては「肝リピドーシス」で、いわゆる脂肪肝。餌を食べなかったことで減ってしまった身体の糖分を補おうと身体中の脂肪から糖分を作り出そうとした結果、いっときに集まった大量の脂肪を肝臓がさばききれず、脂肪肝になってしまう、というもの。
とにかく肝臓の機能を正常化するしか手立てはなく、その方法は強制的に口から栄養を取るしかなかった。そして、これは長期戦を覚悟するものだった。

しかし、その頃のオスは、食べることを嫌がった。病院スタッフが忙しい中トライするが、「厭だ」というストレスから吐き気を催し、せっかく食べたものを吐くどころか、食べさせようとするだけで嘔吐動作をするようになってしまったとのことだった。

そこで、手術後の週末のお見舞いで、においに釣られて食べそうな缶詰を持っていって、口の周りに付けてみたらぺろぺろと舐めた。何度かやってみたけれど、どれも舐めた。その様子を見た先生が、これならイケルかもと、それまで病院でやっていた高エネルギー療養食缶詰を渡してくれ、食べさせ方を教えてくれた。一緒に見舞いをしていたダンナと二人がかりであやしながら食べさせた。その様子を見ていた先生が、パパとママがやれば食べるなあと言っていた。
3,4時間置きに食べさせないといけないが、1回当たりにも結構時間がかかる。忙しい病院ではそれは難しいのはないかと思い、週末は自分達でやった方が良いのではないかと考えた。その場でダンナと相談して、週末点滴を外しても大丈夫かと先生に相談した。先生も今は大丈夫そうだし、オスはお家に帰りたがっている所を長らく入院していたから良いだろうということで、餌の缶詰と、手術の大きな傷跡をつけ、傷口を舐めないようにと桜の花びら型のカラーを付けたオスを受け取り、翌月曜日の朝出勤前に病院へ預けることとし、今後の治療方法を打ち合わせて帰宅した。

帰宅後はダンナと二人がかりであやして食べさせた。私が出掛ける時はダンナが一人で頑張ってくれた。それ以外の時間、オスはその時々に自分が気にいった場所で大人しく休んでいた。私がいると私が見える場所に来て、じーっとしていた。
そうして、てんてこ舞いしながらも日曜日の夜を迎えてほっとしていた所で、頑張ってトイレに行ったオスが、上半身をトイレに入れた状態でへたりこんでしまった。それを見てオロオロしてしまったが、診察時間外ではあるものの遅い時間ではなかったので病院へ連絡を入れて連れて行った。

入院前の深夜と同じく、オスはされるがままで色々な検査を受けていた。診察台で横になった状態で、じーっと私を見つめる目が、私に色々なことを伝えているような気がして、私は涙をこらえてその目を見つめ返していた。
そろそろ輸血をした方が良いだろう(点滴で血が薄まってしまったため)ということで、輸血用の血がマッチングする可能性の高そうな兄弟猫であるメスを翌日の朝連れて行くこととし、オスはふたたび点滴を刺したまま入院となった。

起床予定時間の1時間ほど前に電話が鳴った。病院の先生だった。息が止まったこと、一人で対応していたので連絡が遅くなったこと、メスは連れて来なくてよいことを告げられ、今から向かいますと答え、大急ぎで身支度をしてダンナと駆け付けた。

オスは診察台の上でタオルケットにくるまれて横たわっていた。触ると冷たくなっていた。最後は苦しかったのだろうなという顔をしていた。首のあたりに顔をうずめて泣いた。信じられないほどにひんやりしていた。

仕事が終わるまで預かっていようかと先生が申し出てくださったが、連れて帰ることにした。大きな猫だったので、先生が病院内で収まる箱を探したら笑ってしまうほどに大きな箱になってしまった。タオルケットごと箱に入れ、ペット霊園を教えてもらってお礼を言って帰ってきた。

帰宅後しばらく、固まってしまったオスを抱きしめて泣いた。ずっしりと重かった。
具合が明らかに悪くなって2週間のことだった。
保冷剤を入れて涼しい場所に置き、ペット霊園へ連絡を入れて出勤した。ダンナも私も仕事は半休を取得して、午後帰宅し、オスの写真を探し、取り急ぎ余っていた年賀はがきに印刷した。それからペット霊園へ向かった。道中で小さい花束を買った。

ペット霊園では、ダンナが抱えている箱を見たスタッフが「わんちゃんですか?」と尋ねてきた。
焼く前の最後のお別れの時に実際にオスを見たスタッフが、これほど大きい猫は見たことがないと驚いていた。
オスの骨を拾っていた時に付き添ったスタッフさんが、しきりに骨が大きいと感心していた。
それでも何とか、ネコ用サイズの骨壷に収まったオスをそのまま霊園で確保した場所に安置し、印刷した年賀はがきを置いて、今度もうちょっとちゃんと整えるからねと話しかけて帰路に着いた。

帰り道、写真立てとか印刷用紙とかを買った。もう一度写真を探して選んで、プリンターの調子が悪かったこともあり写真屋さんに現像をお願いした。
翌週、今のオスのおうちに、写真立てに入れた写真を置き、造花を置き、非常袋に入れていた、これまで食べていた餌の試供品を置いて、ようやく一息ついた。
オスの周りには数多くの可愛い猫さんがいる。お友達が沢山できるといいね。


後日、開腹時に採った組織の検査結果を受け取った。専門の検査機関によるもので、肝臓は肝リピドーシスの症状だった。それと同時に腸間膜リンパ節の結果もあった。開腹時に、ほんのわずかだけれど大きくなっているのが気になって採取して検査を依頼していたのだそうだ。そこからは、悪性リンパ腫の診断が出ていた。

身体が大きかったので、肝リピドーシスの症状が強く出たのだろうけれど、肝臓の症状よりも悪性リンパ腫の症状が強く出ていたとしても、身体の状態から抗がん剤は使えなかったとのことだった。対症療法になってしまうけれど、そちらも結構長期の治療になる可能性が高く、苦しむ時間が長くなったかもしれないこと。それを考えると、苦しむ時間が短かったし、自宅にも帰れたので、まだオスにとっては良かったかも知れないと言われた。ああ、そうかもなあと思った。

できることなら、どうして餌を食べなくなったのかを知りたいと今でも思う。写真の中のオスは「なんでだろう?わかんない」という顔をしている。


本日でオスが亡くなって半年になる。

発表会の準備2

なんとなく記録しておこうかな、と。

何度も書いているように、レッスンの時しか楽器を持っていないし、楽譜を見るのもその時に、ということの多い状況。このことは師匠もご存じで、それを飲み込んだ上でレッスンしてくださっている。
その代わりと言っては何だけれど、楽器を持つための時間としてという意味合いを持つので、調整のつく範囲で毎週通っている。

ウォーミングアップを兼ねてタファネル・ゴーベールの2番をやった後、そんなに調子は悪くなさそうだということで、曲の練習に入ることに。

やりたいことは色々とあるけれど、どこから手をつけようかなあと思っていたら、師匠が「地味な(発音は「じみーーーーーな」)テンポでやってみない?」と尋ねてきたので、それは是非是非お願いしますということで3楽章を地味なテンポから開始。

どうして3楽章かというと、現状でもっとも手薄な上、この曲のテンポが1楽章と2楽章のテンポを決める性格を持っているからです。3楽章のテンポは速いので、これがそれなりのテンポで吹けないと、とくにゆっくりさを売りにする2楽章で死ぬことになってしまう訳です。

目標は四分音符60ということで、八分音符で84の速さ(四分音符で42!)から、メトロノームを1目盛り(速さにして84の次は88のように飛びます)ずつ上げながら今日は八分音符で108まで。1時間くらいかな。吹いたら、大丈夫、じゃ、1つあげて〜と繰り返し繰り返し。余りに気になる箇所があると指摘しつつ、全ての回に伴奏をつけてくださった師匠に感謝。

個人的には、ブレスコントロールと発音に注意を払っていった。うまく行かなかった所は多々あったけれど、それらに気をつけていることを師匠も気づいていたのか、その点のことさらの指摘はなかった。息を吸うタイミングは、テンポが遅くても速くてもやっかいな箇所があるので、その都度色々と試してみたり。繋留音の応酬な箇所のブレス位置にワタワタしたので帰宅後譜面を眺めながら決めて書き込み。書き込まないと忘れそう。

こういう地味な練習は実は好き(笑)

素敵な金縛り

脚本と監督は、ご存じ三谷幸喜さんの映画。
映画そのものは前作の「ザ・マジックアワー」のような派手な動きのあるものではなく、面白ほのぼのなもの。そこに、西田敏行さんの演技でより笑いを誘われた。宣伝番組によれば、西田さんのアドリブ的な動きが結構含まれているそうで、振られた役者さん達が結構困ったと言っていたのだけれど、本当によく耐えたわねぇと苦笑してしまうようなものでした。

公式サイト:http://www.sutekina-eiga.com/

帰宅後、DVDで持っていた、随分前の三谷さんの作品である「みんなのいえ」を見てしまう。これが三谷さんの映画第2作とのこと。「素敵な金縛り」と雰囲気の似た作品です。出てくる役者さんがとても若いこと!

はやぶさ

観たのは数週間ほど前ですが。

「目的に向かってチームで進める」経験をしたことのある方には、劇中の空気感が実感を持って感じられるのではないかと思います。理科系だけに限らない研究職の現状、理科系の人には映画の話では済まない現実感溢れる光景(まるでデジャブ!)などは、このような日常とは縁のない方々にも分かって頂けるといいなと思いながら観ていました。

はやぶさは、それでも何とか最大の目的を達成できたので、今こうして映画化されていますが、もしこれが上手く行っていなかったら、今頃非難の嵐にさらされていたかもしれません。果たしてその時、人々は「貴重な経験を積めた」と前向きに考えてくれたかと考えると、ゾッとします。特に理科系のプロジェクトは多額の費用の必要な物も多く(金額を聴けば驚くようなものであっても、現場的には不足ということは良くありますが)、もちろん、成功を目指して頑張るものの、最先端の、誰もやったことのないようなものは何があるか分からない世界ですし、本当に目的を達成するまでは気が気ではないものです。そういう現場にちょっとだけ居たことがあるためか、何だかヒトゴトに思えなくて、これらの現実をちょっとでも分かってもらえるといいなあと思いながら観ていました。

また、この映画の製作費が、はやぶさプロジェクトに上乗せされていたら、少しは様子が変わったのかしらとも考えたりも。

ということで、映画中の現場の方々に妙に同調しながら観てしまったため、登場人物たちが涙するシーンでは一緒に涙ぐんでしまいました。コントロールPCのラックにある安全祈願のお札シールも、「くん」付けも、私の中ではやたらとツボに入りました。

公式サイト:http://movies.foxjapan.com/hayabusa/index.html (音あり注意)