ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

発表会

先日、フルート教室の発表会がありました。
今年の演目はGeorge BrunのRomance Op.41。小洒落た小品で、ちょっとしたパーティでの演奏にも合いそうな曲です。今回初めて知ったのですが(曲は師匠から提示された)、良い作品を教えて頂きました。でも、この作曲家についてはよく分かっていないようで、調べても情報を得られませんでした。演奏の素敵さには欠けるものが多いですが、YouTubeで検索すると結構でてきます。なんだか演歌調な演奏が多いんですよね・・・。

楽譜自体は初見でも追っていけて、指の苦労もないのですが、どうすればこの曲が持つ、シャンソンに似た所もある素敵さを出せるのか、という点に苦労しました。

レッスンの時しか楽器を持っていないので、この曲もほとんど練習していません。レッスンでも1,2度通す程度。その度に師匠から、少しずつコメントを頂き、1週間考えて、次のレッスンで試してみる、の繰り返しでした。そのコメントも集約すると

  • どうすれば、サラサラと聞こえる演奏になるのか
  • どうすれば色が変わるのか

の2点に尽きました。この曲の肝ですね。

本番では練習の6割程度の演奏になってしまったけれど(久しぶりにステージの魔物に捕まった)、音の引き出しを増やしたという点で師匠が褒めてくださった。

発表会の前日のレッスンで、アルテスの2巻が終了した。スランプで音が出なくなり(本当に物理的に音が出なくなった)、思うような演奏が出来なくなって困り果てた時に、師匠にお願いして1巻からやり直しをしていたもの。まる2年掛かりました。
1巻は、楽器を持ったばかりの初心者がやる教本なのですが、ここからやり直さないとダメだと思い、しぶる師匠にお願いしたのでした。師匠も、この時期に1巻をやるなら完璧を目指さないとダメだと、かなり厳しく見てくださったのですが、これは正解だったと思っています。ここで奏法を一から覚え直せました。きっと、それまでの自分を壊して一から構築する必要があったのだと思います。
2年間、根気よく師匠も付き合って下さった御蔭で、最近はその頃に苦しんだことが遠くなってきました。今回の発表会のための伴奏合わせの時には、スランプだったなんて思えないねとのコメントも頂きました。

自分でも立ち直れたと感じるようになりました。どん底も経験して、そこから這ってきたので、不調になった時の対策も立てられるようになりました。今思えば、悪い経験ではなかったと思うけれど、だからといって、誰もが経験した方が良いよとは言えない。こんな辛いこと、経験せずに済むなら越したことはない。スランプのおそらく少なくとも5年間は本当にきつかった。レッスンの度に涙していた時期もあったし、先の見えない道は暗すぎたし。

ようやくスタートラインに戻れたかな。

ねんきん定期便の音声コード

年金定期便なる、広げられる葉書が届いた。裏側を開いた中の右下に黒い四角があり、なんだろうと思って説明を見たら「※このコードマークは音声コードです。目の不自由な方でも、お一人おひとりの年金記録に関する情報を音声で聞くことができます。」と本文に対する注意書きと同じ小さめのサイズの文字で書いてある。

紙はのっぺら。凸凹はまったくない。

これ、誰が使うの?

読める方が周りにいれば、面白半分で試すことはあっても、内容を知るために使うことはないだろう。

知り合いに、目の見えないご夫婦(ご夫婦のみでお住まい)がいるのだけれど、その方々は、まず、これの存在に気づけないよ。音声読み上げが必要なのは、こういう方々だろうに、そんな機能のあることを積極的に気付かせるような方法を取らなくてどうするの?

そもそも、この葉書が何であるかさえ気づけない。

こういう方々は端から対象外なのでしょうか。
だとしたら、やっぱり、誰が使うの?

演奏会でした

12月9日に所属しているフルートのグループの第9回の定期演奏会がありました。毎年11月に開催していましたが、今年は色々な都合から12月の開催となりました。
フルートオーケストラ形式の約15名によるフルートアンサンブルです。低音の、中々目にすることのないフルートも使っており、バスフルートinF、コントラバスフルートinC、コントラバスフルートinFまで使っています。低音フルートの製作者(フルート界では世界的に有名)が賛助として来てくださっているからでもあるのですが、その方の手に依るコントラバスフルートinFは、現在最も低い音を出すフルートであり、まだ世界に2台しかありません。

プログラムは、全員で演奏する、我々の中では大編成と呼ぶ編成による演奏、それに特別ゲストである植村泰一先生のソロを加えた協奏曲、はたまた一般的にフルートアンサンブルと呼ばれる少人数の演奏(「小編成」と呼ぶ)で構成されています。
メインの曲はチャイコフスキーくるみ割り人形組曲版)。我々が使用する譜面は、指揮者の先生や主宰の先生が我々の形態に合わせて編曲してくださったものです。

ここ何年かは、大編成しか参加していなかったのですが(練習できないからと小編成を断っていました)、今年はひょんな経緯から小編成にも参加。三重奏という、隠れたくても隠れられない編成に参加することとなり、かなり迷いながら引き受けました。やはり、個人練習はできないままでしたが、自分よりも格段に上手な人達と一緒だったので(一人は同じ門下からのプロだし)、自分の悪い所を痛いほどに自覚。しかも奏法の基本的なところ。一緒に作っている音楽を壊すわけにはいかないので、直すべく気をつけたけれど、残念ながら非常に不器用でもあるので、気持ちだけ空回り気味になってしまいました。引き続きこれからの課題として、克服していこうと思います。継続は力なり、と。3人で、あーだこーだと曲を作って行くのはとても楽しかったので、またやりたいなあとも思います。

女の敵は女と言うけれど

この案件、ちょっと色々と負担が大きい。そのため、上記の男性の状態は、多忙な中にあると、歓迎しがたいものでもある。
奥様が辛いんだろうなというのも想像できるし、それを助けたいと思う男性の気持ちも分かるが、余りに続くと、もう少しなんとかならないのかと、奥様を心の中で毒付きたくもなってくることがあって、自分の器の小ささに涙が出る。
それにしても、奥様も仕事しているはずなんだが、どうしているんだろう?と思うが聞けない。もしかして、辞めたのか?自宅に居るような雰囲気もあるんだが。…あああ。

「いないよりはマシ」は「いないと困る」ということ

「働く母、であること」(hibigen Mariさん)を読んでいて感じたこと。

今、私が担当している案件を一緒にやっている人に、子の保育園の迎えのため基本定時で帰っている男性がいる。とはいえ、数ヶ月前は普通に遅い残業もやっていたので、もしやと思っていたら、案の定、まだ公言できる段階ではないが、奥様がつわりで思うように動けないとのこと。

案件は人員がいると個人の負担は減るけれど、どうしてもギリギリの人数で回さざるを得ない。その男性に、メインで任せていた作業があったが、致し方ないので、他のメンバーが肩代わりできる環境にする。とはいえ、肩代わりしているメンバーも勿論主担当作業を持っているし、どちらかといえば作業負担はその人の方がが大きいのだけれど、種々の事情から致し方なくお願いし、その人は快く引き受けてくれた。外部との窓口ともなっている私は、飛び込んできた諸々について先方と交渉して、主担当が作業して間に合うようなスケジュールにすることで、肩代わりメンバーの負担軽減を図ることしかできない。

正直な気持ちを書けば、その男性については、私の中では今は「いないよりはマシ」という位置付けとなっている。そして同時に、「いないと困る」人でもある。矛盾しているかもしれないが、この2つが並立している。「いないよりはマシ」と思わなければ、気持ちがやっていけない。しかし、本当にずっといなければ、業務の進行に差し障りが出る。だから「いないと困る」。

いなくても済む人ならば「居なくても構わない」と言われてお終いだ。「いないよりはマシ」っていうのは「いないと困る」存在であるということだと思いますよ。

年が明けて漸く今頃書いております。体調を崩して自宅にいるのですが、大人しく寝ていればいいものをと、自分で思います orz
まとめて書いているため、日付とイベント日は一致しません・・・

[映画]ALWAYS 3丁目の夕日 '64

私もダンナも生まれる前のことなのに、どうしてこんなにこのシリーズが気になるんだろうと思う。
例えば、堤真一の役どころの年齢の方の今現在の年齢を考えると、見ている人の多くは、昔を懐かしむという感覚とは異なる感覚で見ているのではないかと思うのだ。

そもそも、このシリーズにダンナは興味を示していなかった。とある機会に、第1作のDVDを私の希望で購入して見たのがきっかけなのだけれど、それが何故かツボにはまったようで、続いて第2作を購入し、本作を見るまでにこの2作を何度か繰り返し(ダンナの希望で)見た。もちろん、映画を見る前日晩にも続けて見た(笑)

人生万事塞翁が馬ではあるけれど、自分の気持ちを大切にしていくことは捨ててはいけないなと思うのだ。
叶わないことも多いと思うけど。


[flute]発表会

年末年始に楽器を持てないもので、年が明けてからは発表会のための1回のレッスンと、ピアノ合わせと当日のリハで本番を迎えた。それ以外の日に練習は出来なかった。

あるレッスンで録音したものを聞き直し、自分の気持ちが身体のコントロールを邪魔してしまい、音としては空回りになっていることに気づいてからは、狙った音を出すために、気持ちを抑えることに気を付けて行った。それは結果として、本番でも演奏に、より集中することに繋がり、師匠からは近年最高の出来だったと褒めて頂いた。本番では演奏終了間近の、もう大丈夫という、残り数小節の頃に、自分の足が軽くガクガクしていることに気づいた。そんなことに構っていられないほどに、演奏に集中していたということで、自分としても進歩だった。一度この感覚を掴んでしまえば、案外この先は大丈夫なのではないかと感じている。

それでも、反省点は多々あるけれど、それも含めて収穫の多い一年だったと感じている。