ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

責任の所在って

小5自殺:男児が女性教諭名指しの走り書き 遺族明らかに
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060320k0000e040015000c.html

 親族を代表して会見した叔母は「まさか死ぬほど悩んでいたとは思わなかったが、学校の対応にも問題がある。教室を飛び出した後、なぜ連絡をくれなかったのか。買い物を途中でやめて自宅に戻っていれば自殺を防げたかもしれない。責任の所在をはっきりさせたい」と述べた。

 仮に責任の所在をはっきりさせるとしてもだ。そのためには因果関係を示す必要があるということだ。「果」は学校を飛び出しこのような行動をとったこと、でしょうか。すると「因」は、

  • 子供がこのような行動を取るまでの精神状態になってしまった

ということではなくて

  • 飛び出したことについて学校が連絡をくれなかった

ことを指しているのでしょうか???


 なんというか、責任の所在云々よりも、原因とその背景を探ることがまず必要なのではないのかと思うのだが。それとも、それらを探った上での責任の所在ということでしょうか。うーん、どちらかが一方的に悪いということはあるのだろうか。記事の範囲内では親にも学校にも考えるべきところはあるように感じられる(詳細な経緯を知った場合にはこの感想は十分に変わることもありうるが『まさか死ぬほど悩んでいたとは思わなかった』と言っているし…)。ショックでこのような発言をしているのかもしれないし、その気持ちを想像することもできるけれど、でも、やや行き過ぎた発言ではないかなあと、ぼんやりと思った。