ねこの日々 - ブログ版

趣味のフルートのことや愛猫のことを、たま〜に呟きます。

『飼う』ということ

件の直木賞作家さんの猫を取り上げたコラム
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/770743.html

避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。

 そういう考え方があるということは認める。

 彼女は、猫を「飼っている」と書いていた。その猫に愛情があるといっていた。その愛情ってどんな愛情?

 生むことで母体には大きな負担とリスクがかかる。避妊手術は「飼っている愛情をかけている大切な」猫をそれらから避けるための、可能な限り守るための、手段だ。手術を受けさせないことについて意地悪な見方をすれば「かわいがっている」猫をメスで傷つけたくないことの、金銭的負担を負いたくないことの言い訳だ。

 しかしそれと引き換えに取っている手段が、どれほど残酷なことか。何度も残酷なことを繰り返すのなら、「残酷な手術」を1度済ませればよいことだ。

 そもそも、そういうことをグダグダ言うのなら、餌をやるな、「飼っている」と言うな、と言いたい。特にペットとして飼うということは、生まれた命もまるごと、生き続けていく方向で引き受けるということだ。続いていくものを引き受ける覚悟がないならば、続かないように手を下すことも「飼う」ということなのだ。続いたものをなかったものにすることではないのだ。本能を、野生をそのまま活かしたいのならば、その猫がどんな生活環境で暮らすことになろうとも、ただ見ているだけに徹するべきだ。

追記(2006年8月27日)

 これに関する記事やブックマークコメントをいくつか見たが、避妊と中絶を同じように扱っているものが結構あるように感じた。私は別物だと思うのだけれどなあ。